- 1 : 2025/12/08(月) 20:27:26.48 ID:V2+0tMps0
-
現在の中国を経済、政治的に米国と肩を並べる大国に押し上げた最大の功労者が、鄧小平であることに異論を挟む余地はないだろう。彼が主導した改革開放路線が瞬く間に世界第二位の経済大国を築いた。
結党以来、中国共産党は何度も激しい路線闘争を繰り広げてきた。その中で、鄧は、1933年、1966年、1976年の三度にわたり失脚の憂き目を見る。しかし、その都度、不死鳥のように蘇って党の要職を占めたのは彼しかいない。まさに“不倒翁”の異名にふさわしいしぶとさを見せてきた。
排除されるたびに、屈服の恥をしのんで権力者に詫び状を入れつつも政治信念は曲げず、闘争過程で不利から形勢逆転を繰り返す姿は執念ともいえる。
https://plus.jmca.jp/leader/352.html - 2 : 2025/12/08(月) 20:27:54.86 ID:V2+0tMps0
- 鄧先生からジャップが学べることは多いよ
- 3 : 2025/12/08(月) 20:30:58.33 ID:BP04HxZl0
- 鄧小平とゴルバチョフ、どこで差がついた
- 4 : 2025/12/08(月) 20:32:16.25 ID:VEc69Qk70
- 民衆弾圧してた奴だぞ
- 6 : 2025/12/08(月) 20:34:10.53 ID:uno03Cs90
- >>4
鄧小平が改革開放で中国に自由をもたらした
その鄧小平が与えた自由をフル活用して民主化訴えた奴らを弾圧した
しかしその後も中国の改革開放は進んだオチ - 11 : 2025/12/08(月) 20:37:13.92 ID:gWZxH+JL0
- >>6
ちなみに国際社会から孤立してた中国を最初に助けたのはわーくに
おかげでこの頃の日中関係はマジで良かった - 8 : 2025/12/08(月) 20:36:07.79 ID:V2+0tMps0
- >>4
文革の紅衛兵と同じで単なる暴動の一種だから潰しただけだよ
文革に苦しめられた鄧小平だからこそ、天安門暴動のヤバさに気付いたわけ - 5 : 2025/12/08(月) 20:33:53.09 ID:PzD9orDX0
- 黒い猫でも白い猫でもネズミを捕る猫がいい猫だ
- 7 : 2025/12/08(月) 20:34:17.71 ID:BP04HxZl0
- 戦車でペシャッ
- 10 : 2025/12/08(月) 20:36:44.14 ID:SOaL3xGE0
- ワシより先に逝くなんて…
- 13 : 2025/12/08(月) 20:38:54.55 ID:D4qz7lbG0
- 習近平か毛沢東と同等の格になっていま、鄧小平なんて数段下の下位互換やろ
- 15 : 2025/12/08(月) 20:42:44.25 ID:12tPg9zk0
- 近年の中国の指導者って負の面もあるけど総合的には有能の評価になるよな
同じ一党独裁のわあ国と何の違いがあるんだろう - 16 : 2025/12/08(月) 20:42:54.79 ID:QNdZuuIx0
- 今の中国では尊敬されてんの?
- 18 : 2025/12/08(月) 20:45:42.10 ID:X5vqRMg00
- 毛沢東が太祖で鄧小平が太宗
- 19 : 2025/12/08(月) 20:46:33.74 ID:OhJY5nhHM
- 天コロを訪中させて制裁解除させた術師
- 20 : 2025/12/08(月) 20:47:06.35 ID:LhzhEHqz0
- 日中戦争(第二日中戦争)を小中高大学で徹底的に教えるようになった趣旨
日中戦争(1931-1945年、第二日中戦争や抗日戦争と呼ばれる)を教育カリキュラムで小中学校から大学まで徹底的に扱うようになったのは、
主に以下の趣旨からです:1.中国共産党(CCP)の正当性とナショナリズムの強化: 天安門事件後、若者の党に対する不満が高まったため、CCPはマルクス・レーニン主義や毛沢東思想の代わりに、中国ナショナリズムをイデオロギーの基盤に据えました。日中戦争を「中国の被害者性」と「党の勝利」として強調することで、党を「国家の守護者」として位置づけ、国民の忠誠心を高める狙いがありました。
たとえば、教科書では日本軍の残虐行為(南京大虐殺など)を詳細に描写し、中国の「屈辱」を繰り返し教え、党の役割を英雄的に描きます。これにより、クラス闘争中心の歴史観から、外国侵略に対する抵抗史観へシフトしました。 - 27 : 2025/12/08(月) 20:50:52.77 ID:LhzhEHqz0
- 鄧小平あたりから反日教育は始まった。
>>17なぜ反日教育をする必要があったか
共産主義ではない資本主義導入の正当性を問われるのを回避するためでもあるね
>>20-22 - 28 : 2025/12/08(月) 20:54:46.52 ID:V2+0tMps0
- >>27
中国が反日教育なんてやったことないぞ
反日本軍国主義教育の間違いじゃないか - 31 : 2025/12/08(月) 20:58:46.83 ID:LhzhEHqz0
- >>28
それは>>20-22までをよく読んでてみて自分の頭で決めればいい
党が「反日教育じゃないとあなたたちは考えろ」と指示を出してるが、それを疑い、自分で考察する習慣をつけなければならない - 21 : 2025/12/08(月) 20:47:30.90 ID:LhzhEHqz0
- 2イデオロギー真空の埋め合わせと経済改革の推進:
鄧小平の市場経済導入で、伝統的な社会主義イデオロギーが弱体化したため、愛国教育で国民の団結を図りました。1994年の「愛国主義教育実施要綱」では、教育、メディア、記念館を通じて日中戦争の記憶を植え付け、外国(特に日本)の脅威を強調。目的は、改革の心理的障害を除去し、国民の自尊心を高めることでした。
これにより、2007年頃の教科書改訂では、日本軍の責任を「日本人民全体」に広げ、より強い反日感情を育てる内容になりました。 - 22 : 2025/12/08(月) 20:48:00.84 ID:LhzhEHqz0
- 3.国家統一と反外国干渉のツール: 日中戦争の教育は、台湾や香港などの領土問題、または西側諸国の影響に対する防波堤として機能します。記念館(例: 南京大虐殺記念館、1985年開館)や映画(例: 『南京の虐殺』関連作品)を活用し、感情的な空間を創出して国民の共感を呼び起こします。これにより、反日デモ(2012年など)が頻発する基盤ができましたが、外交的には日中関係を緊張させる副作用もあります。
この教育は現在も続き、2024年の「愛国教育法」で法的に強化されています。鄧小平の時代から始まったこのアプローチは、中国のナショナリズムを現代の外交・国内政策に活かしていますが、一方で歴史的事実の選択的解釈として批判されることもあります。
- 24 : 2025/12/08(月) 20:49:00.31 ID:haEySXMI0
- 中国三大小さなおっさん=晏子・鄧小平
- 25 : 2025/12/08(月) 20:49:22.84 ID:X5vqRMg00
- 小平同志は
深圳の生みの親でもある - 26 : 2025/12/08(月) 20:50:38.83 ID:W7YEvuRc0
- イデオロギー以前に政治は何のためにあるのかという信念がある
- 29 : 2025/12/08(月) 20:55:17.87 ID:LhzhEHqz0
- 鄧小平は深圳の生みの親でもある
鄧小平はダボスWEFと関係が深いからであり、それが理由で深圳1979年の接触開始: 中国は1979年のWEF年次総会(ダボス会議)に初めて公式代表団を送りました。WEF創設者のクラウス・シュワブは、鄧小平の改革を高く評価し、同年5月に北京を訪問。欧州企業CEO20人を含むビジネス代表団を伴い、中国側と覚書(MOU)を締結しました。これにより、WEFと中国の公式協力関係がスタート。中国は以降、WEFのダボス会議に欠かさず参加しています。
1980年代のアドバイザー的役割: WEFのメンバーはビジネス交流や政策議論の場を提供する形で中国の経済改革を支援しました。例えば、シュワブの北京訪問後、WEFは「中国ビジネスサミット」を年次で開催し、欧米企業のトップが中国の改革担当者と議論する機会を増やしました。これにより、外国投資の誘致や市場開放のノウハウが共有され、深圳経済特区(1979年設立)のような実験的改革に間接的に影響を与えました。
『鄧小平』とかいう現代中国最強にして最大の英雄
嫌儲

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