日本人に足フェチがいない理由って「日本人の民族性」なんじゃね????????

1 : 2021/09/16(木) 12:44:37.764 ID:7GFRRmRz0
10.足の文化 
次は、では日本人と「足」はどうなるのかとなります。農耕民族の日本人は手でした。大平原を彷徨う狩猟民族は健脚でなくてはならぬ「足」です。サッカーは足で球を蹴りますが元々はフットボールから進化したのです、フットボールの起源はイギリスです。彼らにとり足こそ生活の基礎、健脚でなくてはなりません。だから足のスポーツが盛んです。

「足」の文化です。彼らは、長さの単位を、フィート、フットと足で測ります。

日本では、両手を広げて、一尋ひろ、二尋と言いまして、手の指の長さで一寸、二寸と測ります。      

自転車のブレーキも日本では「手」でかけますが、彼らは「足」でかけます。

日本は、手をマメに動かして「手で稼ぐ」民族ですが、彼らは「足」でマメに歩いて「足」で稼ぐことになります。大平原では、いくら手を動かしてもカネにならないからです。彼らは「足が早い」、我々は「手が早い」。こちらが「手柄」を立てる時に、彼らは「足柄」をたてる。こちらが「手拍子」で「手踊り」するのに、彼らは「足拍子」です、即ち、タップやフラメンコをせわしく陽気に踊る。

日本の祭りでは、佐渡おけさ、阿波踊りでも「手踊り」が中心ですが、西欧のダンス、バレエ、宝塚や日劇ダンシングチームの出し物は脚線美の芸術です。これが「手で舞う」のと「足で踊る」のとの違いです。

こちらが「手がかり」をつける時、彼らは「足がかり」をつける。お手並みと足並みの違い、「手軽」を尊ぶ習性と、「足軽」を尊ぶ習性の違いとなりますか。日本人は狭い土地で暮らすので「手をまめに動かして」たやすく行動する。よい意味で手軽を使う。しかし、ちょこちょこと、手軽に歩き回る人のことを「足軽」と申して身分の低い者として軽蔑する。足の文化ではないのですね。

日本人だけが下駄を履きます。靴と下駄の文化の違いは決定的です。広い大地をダイナミックに移動するためには、靴でなくてはできません。下駄は長距離の歩行には無理、村の中の移動、土と泥の風土に最適な履物です。

欧米人は靴は一日中履いている。家の内外を問いません。なかば身体の一部のようです。だから足と体の生理のファッションとして靴への関心は極めて高い。靴専門ドクター、foot surgeon という足の専門の外科医もいる。靴の処方箋を書く、最適な靴処方箋を作る。洋服を替えるように好みの靴に履き替える。日本人は靴一足で通勤もパーティも使う。靴の字を分解しますと、革が化ける、まさに牧畜民族の所産であります。
http://www.ncn-t.net/kunistok/5-1-toku-hikakubunmei-2-.htm

2 : 2021/09/16(木) 12:44:48.317 ID:7GFRRmRz0
>>1
下駄は植物の多い日本ならではのものです。湿った日本の土地では、足が土から離れるほど快適だからです。日本の家屋と縁があるのは風を通すため、神社が高い階―きざはしーがある高床式と共通する風土の知恵の所産でありましょう。

欧米には下駄箱というものがない。モース博士も感心した。日本だけの現象です。土と泥の風土の日本では、履物は必ず玄関で脱ぎ下駄箱に入れて座敷に上がる。泥のついたまま相手の座敷に上がるなど侮辱であります。内と外を玄関ではっきり区別する。欧米人は乾燥した石の上で暮らす、土足のまま家に入る。ベッドで初めて脱ぐ。彼らはクローゼットの中に洋服と靴を格納する。日本の畳はベッドだと彼らはわからない。余談だが、玄関の整理整頓の風景、また来客が玄関を上がる時、靴の揃え方で教養、育ちが歴然と判別する、それで人間が判定できるのです。揃えて上がらねばいけませんね、いい年して脱いだまま上がつている人がいる、育ちが一発で判明する。これでは一流と交際の必要な大組織内では幹部にはなれない。下駄箱生活は、日本古来からの最高の美俗です。清潔民族の誇りでもあるのです。

足の民族の姿勢動作には「立つ」ことは苦痛ではないようです。立食パーティ、立ったまま討論会、これは日本人には苦手。                座る生活の日本人には古来より「立たされる」ことは苦痛、だから、記憶がありますでしょ、小学校とか中学校では、罰として廊下に立たされた。足の民族は、走る、キックするサッカーやラグビーが得意なのです。日本には、広い広場はなかった、勿体ないから田とか畑にしていた。私の子供時代の記憶でも子供の時は神社の忠魂碑広場程度で遊んでおり行動半径は狭かった。

手の文化の民族は、内へ内へと内向的でした。足の文化の民族は、フロンティア精神が旺盛で、パイオニア精神に富む、外向的です。ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住するや、開拓馬車を連ねて西へ、西へと前線を伸ばし西部開拓しは名を馳せたが原住民は追いやられ多く殺された。美名の西部開拓は原住民は惨殺され侵略そのものです。僅か100年の間に5000千キロ居住権を拡大してしまった。侵略です。

もし、日本民族がアメリカ東海岸に辿り着いたら、どうしたでしょうか。その場所の環境下で最適に生きる手立てを考案し手作業で定住したでしょう。日本人は馬車を明治の初めまで知らなかったのですから。彼らは馬車から汽車、自動車、航空機を発明し全世界を一挙に制覇してしまったのです。足の文化だからでしょう!!
http://www.ncn-t.net/kunistok/5-1-toku-hikakubunmei-2-.htm

3 : 2021/09/16(木) 12:45:30.829 ID:x/OgNaFJ0
畳ガ●ジも足フェチに入るの?
11 : 2021/09/16(木) 12:50:12.370 ID:7GFRRmRz0
>>3
洋服というのは、「靴を脱いだ時に
まともに見えるか」ということは、全く
考えられていないつくりなのだと思いま
す。
たとえば立派な料亭のお座敷に、仕立
ての良いスーツを着た紳士がいても、靴
下だけしか穿いていない足元を見てしま
うと、間が抜けた感じがする。・・・
その点、和装では履き物を脱いだ時の
ことがちゃんと考えられています。なに
せ、草履や下駄からして、最初から足袋
を外に見せる構造になっている。足袋は、
そのままで室内を歩いても全くおかしく
ない。・・・
そもそもスリッパは、なんのために存
在しているのでしょうか。現在の日本で
は、たいていの人は洋服を着て、家のな
かでは靴を脱ぐという生活をしていま
す。靴を脱いで家に上がると、本当は隠
されているべき足の部分は、むきだしに
なります。スリッパというのは、その時
の情けない感じを隠すための道具なので
す。
酒井順子
★『モノ欲しい女』の「スリッパ」から。
こういう見方もある。洋服との関係からの
考察はユニークで、しかも説得力がある。
西洋人はいったん靴を脱いでベッドに入っ
たら、翌朝また靴を履くまでの間はスリッ
パになる。靴とスリッパの補完関係を仔細
に調べれば、それがすべてを説明してくれ
るのだが、小説はそんなことまでは書かな
い。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/131_5.pdf
4 : 2021/09/16(木) 12:45:49.518 ID:pL+JcgF10
長くね?
9 : 2021/09/16(木) 12:49:05.550 ID:7GFRRmRz0
>>4
日本女性にとって最大の難関は靴で
あった。男子の靴はすべてローヒールだ
からさほど抵抗はなかったが、婦人靴は
18世紀以来ハイヒールが主流となって
いた。これを品よくはきこなして、さっ
そうと歩くという「技術」は、草履か下
駄しかはいたことのない日本女性には至
難のわざであった。膝が曲がっていたり、
つま先を内側にする「ハの字形」の歩行
など、せっかくの洋装を垢ぬけないもの
にした。その後、洋装が本格化するにつ
れて、多くの女性はすっかり靴になじん
でいる。 増田家淳
★『きものの生活史』から。膝が伸びず、
足をひきずり、しかも「ハの字形」は今で
も頻繁に見られる。和服を着ていた伝統が
今も身に滲みついているのだろうか。外国
の街中を歩く人を眺めていると、かなり離
れたところから見ていても日本人だと判
る。作者は「理由は不明であるが昔の旅行
用のわらじは男性専用で、女性は普通の草
履を別のひもで足にくくりつけた」と面白
い指摘をしている。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/131_5.pdf
5 : 2021/09/16(木) 12:45:57.380 ID:4MQkbI6Xd
読ませようという心意気が感じられない
6 : 2021/09/16(木) 12:47:23.124 ID:kO9I85Mb0
畳のやつかと思った
14 : 2021/09/16(木) 12:51:11.752 ID:7GFRRmRz0
>>6
うちはやっぱり日本人やけん、日本
人のごと靴(シューズ)を脱いで暮らす
方が気持ちの平かごとあって、タタミと
かショージとか、日本の家は全部植物
(オールプラント)で、こまか時分から
毎日、植物(プラント)を手や足の裏に
感じて育ったせいかも知れまっせんね。
森 禮子
★『モッキングバードのいる町』から。退
職して1年経過して、足に起きた変化の第
1は水虫が綺麗に消えたこと、第2は指と
指の間が開いてきたこと、第三には小指に
あった胼胝
た こ
がなくなったことである。因に
東京に出るときを除いて、いつも素足で靴
下も着用していない。
指が開くといえば、先日、平成中村座の
桜席、つまり定式幕の裏の席から舞台の女
形の足を見下ろしていると、どの役者も多
かれ少なかれ外反拇趾であった。普段電
車の席に座っても股を開けないよう気を
配っている人たちなのだから、足に気を
配って、靴を履くときにもよほど注意して
もらいたいと思った。江戸の女はオールプ
ラントの中で生活していて、外反拇趾なん
てあり得なかったのだから。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/131_5.pdf
7 : 2021/09/16(木) 12:47:38.659 ID:pL+JcgF10
軽い気持ちで開いたらヤケドしたよ
17 : 2021/09/16(木) 12:53:09.843 ID:7GFRRmRz0
>>7
豊葦原瑞穂の国と云われる日本、原始時代から今日まで基本的生活の基盤は一貫して水田稲作農耕。一定の村落の限られた中での定住生活である。狩猟民族のように移住をしない。だから、全ての生活の糧は「手」で稼ぎ出して生きてきた.。中近東とかヨーロッパ文明諸国は、遊牧、牧畜、狩猟生活で大平原や砂漠を足で歩き回り暮らしを立ててきた。足で稼ぐ民族である。日本人にとり手は人間自体を表現するのが基本原則のようである。人は動く動物、その働きを日本人は、足や口ではなく、「手」が全てを受け持つ。

「歌い手」、「聞き手」、「やり手」、「相手」、「売り手」、「若手」と「手」即ち「人」となっています。英語では、ゼントルマン、ステイトマンとなり「手」では人を表現しませんね。

明治になり野球が日本に入った時、ピッチャー、キャッチャー、ファーストなど、投手、捕手、一塁手と凡てに「手」をつけて訳した。自分自身を指して、「手前」、また「お手植えの松」とか「手下を差し向ける」「手を貸す」、「殿様手ずから」となる。「手形」は自分自身の「証」だし、「手相」は運命の証となる。

日本人は「手作りの料理、菓子、道具」が特別に珍重される。自分の「手」をかけて直接作るものこそ尊いものとしている。機械文明の21世紀でも、「手打ちうどん」、「手延べそうめん」など手料理は特別なものと認識し、「生きた人間の暖かい心が通う」ものとする。

「手間をかけた労働」、手を動かすから「手間賃」となる。各自の「手間」に応じて「手間賃」となり「手当」が支給さけるわけであります。

日本では「手」が即ち「金」となる。外国語には「手当」の表現はない。沢山ありますよ、皆勤手当、超過勤務手当、扶養手当、社員は正規のサラリーよりかはこの手当に親しみを感じ一層会社に忠誠を尽くす。

そうです、「手」は働きを代弁しています、「手に職をつける」と職種や技能を「手」で分類している。

我が家の「働き手」は一人だが、隣は「人手」が三人だとか。日本人は、太古の昔から「手の民」だと皆さん思われることでありましょう。

石川啄木の歌、「はたらけど働けどなおわが生活くらし楽にならざり、ぢっと手を見る」と云いました。手に向かって愚痴をこぼしている。太古の昔より日本人は「手一本」で稼いできた民族と言えます。

手一本で世界のホンダに仕上げた本田宗一郎氏の著書があります、題して「私の手が語る」です。自転車屋の小僧から、手一本で成功した歴史を、「手の傷の跡」で語っています。資源の乏しい日本が、手だけで稼いで経済大国になりました、その代表が本田氏ですかね。
http://www.ncn-t.net/kunistok/4-3-toku-hikakubunmei-1-.htm

8 : 2021/09/16(木) 12:47:48.890 ID:YxuAoZ0Lr
これ出来たのFGOより前のMMO全盛期の時だろ
12 : 2021/09/16(木) 12:50:40.288 ID:WoSBu+a0M
美醜が文化と結びつきやすいという話でしょ
日本ではぱっちりとした目が人気だけど
寒い地域ではマイナスにしかならないのでブサイクとされるとか
日本でも綺麗な爪を維持したがるのはお米文化で綺麗な爪は米研ぎが上手いとされるからみたいな
足は汚くてもいいけどふともも好きなのは田植え文化からかね
まぁ文化との結びつきがあるんじゃね?的な話
22 : 2021/09/16(木) 13:07:03.586 ID:7GFRRmRz0
>>12
片岡義男の『銀座で夕食の約束』と
いう小品の描写である。
〈彼女たちは、二十代後半の、ほとんど
おなじ背丈の、ほどよくほっそりした、
よく似た体型をしていた。…〉
 履いている靴まで似ていた。ヒールの
低い平凡な黒い靴である。なのに、ふた
りには決定的に異なったところがあった。
〈それは、歩道を歩いていくときの足音
だった。ヨーロッパの白人女性の足音は、
片仮名の音で書くと、コッ、コッ、コッ
という音だった。コツ、コツ、コツでは
なく、ツの字を小さくして、コッ、コッ、
コッだ。一歩ごとに、彼女の足音は、そ
の前後の音から独立して、くっきりと切
れていた〉
 では、日本女性のほうはどうだったか。
 片仮名での再現はなかなか難しいが
「試しに書くなら」「ガタコーラ、ガラコー
タ、ガコラータというような音だった。」
関川夏央
★『中年シングル生活』の「やさしい足音、
かたい足音」から。足音の聴き方もいろい
ろある。同じ聴くなら楽しく聴くほうがい
い。志賀直哉は「夜、戸そ外とをさくりさくり
音をさせながら人が通る。寝ながら聴いて
いると、それが如何にも親しみのある落ち
ついた気持にさせた。(プラトニック・ラ
ブ)」と書いている。だが平成六年の歌に「門
前に軍靴の音す息つめて兄かと思えば聞こ
えずなりぬ 山本矩子」という深刻なもの
もある。近ごろの密閉性の高い建物に暮ら
していては、夜間に外を行く足音は聞こえ
なくなってしまった。

西洋人が日本にやってきて、無気味
に感じることのなかに、日本人が靴底を
地面にすって歩く音がある。日本では靴
底を地面に対してひきずるように歩く人
が、意外に多い。
 西洋のお化けには、日本とちがって足
がある。そして靴底をひきずって歩く。
多くの日本人が靴底をひきずって歩く音
は、まさにお化けがやってくる音だ。
加瀬英明+アンドリュー・ホルバート
★『背広とチョンマゲ』から。初めて日本
に来た気の弱い西洋の婦人は、靴底をする
音を聞くとおびえるという。靴を引きずっ
て歩くと、早く減るので足を上げて歩くの
だという。ヨーロッパのどの国においても
靴は貴重品だった。西洋人の歩き方がその
ような経済的な理由からくるものであると
したら、経済大国の富民である多くの日本
人は、靴の減ることなどそれほど気にはし
ていないから、永遠にズルズル靴底を擦っ
て行くことになってしまう。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/149_5.pdf

13 : 2021/09/16(木) 12:51:09.004 ID:qo8e5dkna
畳ガ●ジだと思った
23 : 2021/09/16(木) 13:13:02.539 ID:7GFRRmRz0
>>13
さて、日本の玄関ドアの直後にあるわずか90センチ四方(畳半畳分)のスペースで「靴を脱ぐ(上がる)」という行為は、
実はわれわれが考えているよりもはるかに大きな心理的バリアを、その地点を通過することによって、人々に与えているのである。
なぜなら、一旦、家の中に靴を脱いで上がった以上、その家の人(と同様)と見なされ、そこから逃げ出そうと思しても、
もし靴を隠されでもしたら裸足で逃げなくてはならなくなる(註:屋内とは逆に、裸足で外を歩く人は変人と見なされる)からである。
よく、政治家同士の会合(裏取引)や同業者同士の談合が、彼らの本来の「職場」である議会や会社等の公的施設で行われずに、
「料亭」などの「靴を脱いで上がる」私的施設で行われるのは、そこに居合わせた列席者一同に「一蓮托生」を意識させるための儀礼の場として必要だからである。
単に公費(機密費や接待費等)による飲み食いが目的なら、個室のある一流レストランでも高級クラブでも十分なはずであるが、それでは、この「儀礼」を終えたことにならないことになるからである。

  本論の冒頭で、「明治以来、日本のパブリックな空間においては、原則として土足ということが守られてきた」と述べたが、唯一そうでない空間がある。それは、お寺の本堂などの宗教施設である。
昨今では、生活の洋風化に伴い、正座が苦手な人が増えて、お寺でも椅子席のところもたくさんあるが、それでも、ほとんどの寺院は、やはり靴を脱いで本堂に上がる形式である。
このことは、法事に参列する人々(親族)や法要に参拝する人々(檀家)に対して、靴を脱がすことによって、擬似的な家庭的一体感というものを感じさせ、
なおかつ、瞬時に「その集団から抜けられない」ということを、暗示するさせる装置なのである。同じ宗教儀礼でも、誰でも参列できる葬儀や、不特定多数の住民(氏子)が参加する神社の祭りなどは、たいてい「土足」で行われる。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-120.htm

15 : 2021/09/16(木) 12:52:07.191 ID:LqKV/1y50
一行で頼む
19 : 2021/09/16(木) 12:59:57.926 ID:7GFRRmRz0
>>15
日本人はカミ・シモの区別が峻烈で、
足に穿くものを愛玩の小道具にしないが、
西洋人や中国人にとっては靴はフェティ
シズムの対象になるらしい。しかし私は
もっぱら、シンデレラ幻想で、ガラスの
靴に愛着している。…
  私がはかない物をあつめるのは、
  「驚かされたい」
   という気分があるからだ。ガラスの靴
の光彩陸離、私は眼がちかちかして、靴
がタカラモノになるという発想に、驚い
ているのだ。靴をてのひらにつつんで撫
で、賞玩するという自在の観念の飛躍に、
あたまのなかを洗滌された気がしている
のである。
田辺聖子
★『手のなかの虹』の「靴、わがシンデレ
ラ」から。花瓶、小物入れ、キイホルダー
やコーラのボトルキャップなどに靴のミニ
チュアは使われている。だが日本ではそこ
まで。あちこちの靴屋さんが、生まれて最
初に履いた靴を金や銀で加工して保存する
キャンペーンを実施しても、たいてい空振
りに終わってしまう。外国の親なら普通に
行っている“儀式的慣行”が日本にはない
のである。日本人のよくやる“ヘソの緒”
を残しておくぐらいの親心が、はきものの
上にも芽生えてくれるとうれしいのだが。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/146_6.pdf
16 : 2021/09/16(木) 12:52:13.750 ID:0IfEGzl5r
まぁ労働環境は向こうのがマシなんだろうがそれだけでは憧れはない
30 : 2021/09/16(木) 13:19:46.775 ID:7GFRRmRz0
>>16
映画『ワーキング・ガール』の冒頭には、主人公テス役のメラニー・グリィフィスがリーボックを履いて出勤し、
会社に着くや引き出しにしまってあるパンプスを取り出す場面があった。
日本のOLにとって、あの場面はカルチャーショックだった。というのも、わがジャパニーズOLは、やることがまったく逆。
とっておきのパンプスで出勤し、オフィスではサンダルに履き替えるのだから。
島村麻里
★『バービー、あなたはどこへ行くの?』から。
アメリカ人にとってオフィスは「戦場」、締りのない格好は許されない。日本人にとって職場は「イエ」の延長だからくつろぐことが認められる。
どちらがいいというのではない、ギャップをお互いに認め合えというのが彼女の言いたいことらしい。職場におけるギャップは埋まりつつある。
私が驚いたのは、引き出しに靴をしまうことである。日本では脱がれた靴の定位置は机か椅子の下で、こちらのギャップは深いものがあり、簡単には埋まりそうにない。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/136_5.pdf
18 : 2021/09/16(木) 12:54:37.320 ID:pL+JcgF10
し、失礼しました!スタコラ
20 : 2021/09/16(木) 13:00:02.595 ID:vKpuKRjwr
これは正論
21 : 2021/09/16(木) 13:00:14.157 ID:xtg5fTnQr
日本人じゃない
29 : 2021/09/16(木) 13:17:05.709 ID:7GFRRmRz0
>>21
「日本人は靴を道を歩く戸外の道具と思っているが、靴は西洋では立派な客間にも入って行くし、
寝るまで沓いているものなんだ。だから靴はとても人に見られているものなんだね、土足じゃ困るんだ。
君は知るまいが、西洋の女は裸になっても靴を沓いていて、バス・タブの前迄行って、そして湯に入る。
一寸ばかり良い眺めなんだが、それはそれとして、そういう訳けだから、西洋でちゃんとした社会に入るためには靴に気を付け
なさい。殆どの日本人はその点で落第だから-」 團伊玖磨
★『さよならパイプのけむり』から。1956年、パリで藤原義江からそう教えられたのだという。
近ごろ余り聞かない形容だが、“バリッ”としたスタイルの人といったら、私は第一に藤原を思い出す。
それにしてもバス・タブに入る女の仕種を例にとるところがいかにも艶福家だったテナーらしい。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public_2/134_5.pdf
25 : 2021/09/16(木) 13:14:09.086 ID:+3iRzQgpr
天皇て朝鮮半島から流れ着いた民族の末裔だよね
26 : 2021/09/16(木) 13:14:21.664 ID:asWb/nR7r
平均的な日本人はそれを自覚できてない
27 : 2021/09/16(木) 13:14:34.146 ID:H6/o0grsr
外国人は違うん?
31 : 2021/09/16(木) 13:23:11.521 ID:7GFRRmRz0
>>27
女性がバッグや靴が好きなことを知っているパリジャンは、
妻やガールフレンドの喜ぶ顔見たさに、自分たちも婦人用のバッグや靴を研究してプレゼントする。
日本の男性がバッグや靴を愛する人にプレゼントするというのはあまり聞かないが…、パリでは普通のこと。
こういうアイテムをプレゼントするには(高級ブランドである必要はまったくない)、
よほどパートナーの着こなしをつね日ごろ注意深く観察していないとできないから、
女性が少しでも小物づかいを楽しんでくれるよう、われわれ男たちも少しは勉強したい。 高橋克典
★『パリジェンヌのおしゃれレッスン』から。
「人にあげるものを探していたけど、これぞと思うものが見つからず、とうとうその日がきてしまって、
近所の靴屋さんに走っていって、黒革のひも靴を買いました。」(大橋歩)という文章を読んだとき、
なんて格好のいい、酒落たことをする人だろうと思った。超人気のスポーツ選手や俳優たちが
こんな習慣をつくってくれるといいのだが、彼らに期待できないとなったら(まだ期待しているのだが)、
何がきっかけで日本の男性は恋人や妻に「はい、どうぞ」と靴をプレゼントするように変わっていくのだろうか。
https://www.hikaku.metro.tokyo.lg.jp/Portals/0/images/shisho/shien/public/151_6.pdf
28 : 2021/09/16(木) 13:16:59.205 ID:ZPmmn35+0
中国人の脚フェチの多さは異常
Pixivとか中華ソシャゲとか露骨だわ
32 : 2021/09/16(木) 13:25:13.430 ID:7GFRRmRz0
日本では靴選びの時、靴が十分に足をサポートしてくれるかどうかと言うことよりも、脱ぎ履きのしやすさのほうが重要視されてきました。このことは日本家屋の構造に大きな原因があります。家屋内では靴を脱ぐ習慣があるために家の出入りの度に頻繁に靴を脱ぎ履きする必要があるからです。 
 それに対して、室内でも靴を履く習慣の西欧から入ってきた靴やブーツは、長い時間履き続けることを前提に作られていますから着脱の容易さはさほど重要ではなかったのです。日本でも以前は用途によって多様な履物を履き分けていました。
 例えば江戸時代、人々は家のまわりでは下駄や草履を、長旅をするときは草鞋を、と言う具合に履き分けをしていたのです。草鞋の紐は長旅の足元を支えるサポーターとして重要な役目をしていました。
 ところが靴が普及するにつれて、この履き分けの習慣が何処かに行ってしまいました。本来、草鞋と同じく紐を締めることで足をサポートする靴などの履物を下駄や草履のように紐をしたままの状態で脱ぎ履きするようになったり、パンプスやローファーがその着脱の容易さから広く使用されるようになって行ったのです。
純粋に足と体の健康を考えれば、これらの靴は使用すべきではありません。

 現実には、学校や会社で制服の一部として着用を義務ずけられていたり、前に述べたように、脱ぎ履きの容易さから、土足厳禁の日本家屋への上がり降りに便利であったり、また、礼装用として一般に認知されてしまっている以上、すぐに他の形の靴にとって変わることは難しいでしょう。
 どうしてもパンプスやローファーの使用が避けられない場合、それらが『体に悪い影響を及ぼす靴』だという自覚をもって、その着用は必要最小限にとどめ、長時間の使用を避けるべきでしょう。
 礼装用の革靴のすべてが足に悪いのではありません。ヨーロッパの伝統的な礼装用の靴は大半が足をしっかりサポートするタイプでした。機能性を無視して装飾性のみを重視した靴が一般化したことがいけないのです。
http://kutsuya.biz/talk_about_shoes_and_feet/entry-35.html

33 : 2021/09/16(木) 13:25:21.768 ID:7JvpKobSr
ニュース番組のポスターにしか見えん

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